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Well-beingに想いを馳せて

2024.6.25

福岡は例年より遅い梅雨に入りました。
長女は幼稚園でプール遊びがしたくて、
毎日のように晴れることを祈っています。
次女は保育園にずいぶん慣れて、
楽しく登園しています。
うつぶせからのお座り、つかまり立ちがスムーズにできるようになり、
プルプル震えながらつたい歩きに励んでいます。
まもなく一歳、あっという間のようで、
長い赤ちゃん生活がようやく一区切りです。

私も生活のリズムができてきて、
今月は弊法人の小学校でのキャリア学習に対面で参加しました。
そして、少しずつ学びの時間も取れるようになってきました。

Well-beingに想いを馳せて

今回のブログでは、先日オンラインで参加した研究会での学びについて共有します。
スピーカーは独立行政法人 労働政策研究・研修機構 研究員の鈴木恭子先生で、タイトルは
「なぜWell-beingを幸せと訳すのでは足りないか?」でした。
書かれたコラムについて解説、参加者で議論する形で進行されました。
詳しい内容は以下をご覧ください。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/079_231129.html

参加したきっかけは、様々な場面で取り上げられる「Well-being」についてもっと理解を深めたいと思ったからでした。
全てを挙げることはかないませんが、
以下、私に刺さったポイントで三つにまとめてみます。

① Well-beingは生活の質をあらわす概念で、唯一定まった定義はない。各国独自で定義し、測定するための具体的な指標を開発している。それらをOECDは”Better Life Index”という指標で評価し、結果を公表している。
日本はこれまで誇ってきた「教育」「仕事」「安全」でも全体の中位よりやや高い水準でとどまり、「ワークライフバランス」と「市民参画(投票率で見るそうです)」は最下位に近いというショッキングな結果、これが日本の生活の質の実態である。

② OECDのフレームワークを日本では大きく書き換えており、主観的Well-being=個人がどう考えているか、受け止めているかに力点を置きすぎている。
鈴木先生曰く、本人が満足していればそれで良いのか?本人が気づけていない、言えない状況に置かれているかもしれない。
日本のWell-beingは個人から発する心理学的な捉え方をしがちだけれども、組織や社会集団の関わりで見ていく社会学の視点も大切。両方の観点から見ていく必要がある。
→この観点に大いに共感しました。
私にあてはめると、現在の生活は幸せと感じるものの、働き方に満足はしていない。ほぼワンオペで、いつ体調不良になるか見えない子ども二人を抱えて、フルスロットルではいまだ働けない。コラム内で触れられているケイパビリティ=選択の自由は、働き方に関しては、今のところないです。保育園や幼稚園で周りを見ても、キャリアや能力があるのに、宙ぶらりんでもがいている母達がたくさんいます。

③ 日本は企業中心社会で、会社などの組織から離れると、個人が獲得しうる生産手段や社会的保護がきわめて限られている。したがってWell-beingを高めるための政府の役割は、これまでの資源配分のあり方を抜本的に変えることを目指し、企業セクターの外側に多くのリソースを投入し、企業に頼らない活動や社会的保護を厚くする必要がある。
→本当にその通りで、過去最高の税収、企業の内部留保、その反面、出生率の異常なまでの低下という結果に浮かび上がっています。
私達の生活の質を上げるために何ができるのか、どうすれば良いのか、様々な方たちと意見をかわせたらと考えています。

最後に…研究会の終盤で中高一貫校の先生がおっしゃっていた「Well-beingは新たな概念として、必要な学びだと校外の教育関連会社から売り込みをかけられている。消費される概念であってはならない。子ども達の生活の質、幸せにどうコミットしていくか考えていかなくては…」という言葉も印象的に残っています。
答えがすぐに出るテーマではありませんが、引き続き学び、考えていきます。

理事 吉次 恵美

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