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青山を降りる

2024.7.08

 年に1~2度、一人旅を楽しんでいます。誰にも制約を受けない自分だけの時間が今は愛おしいのです。特に6月はここ毎年のように大分県の長湯に足を運んでいます。

 「ラムネ温泉」の名で知られる大分県竹田市直入町長湯は34°~42°前後と比較的低温で、炭酸泉の銀色の泡がびっしりと纏いつく程の濃度。湯船の中でボコボコと泡が沸き立つ音を聞きながら何も考えずぼうっとしているのが好きです。

この何も考えないと言う事が、実は私には難しいのです。何をしていても常に頭はフル回転。今やっていることが終わったら次にはこれ、一時間後に何処、3日後にそれ。一週間後に何、一か月後に誰と。そんな生活を続けて来ました。勿論それは私に限らず、この世の中に生きる大半の人がそのように暮らしていると思いますが、リラックスすることが苦手な私は自宅や列車・バスの中で寝落ちすることもありません。偏頭痛と睡眠障害を持つ、いささか、厄介な人なのです。

 実は長湯に滞在中も睡眠障害が解消する事は無いのですが、予定に追い回されずリラックスする事ができます。家族の食事の心配をすることもありません。

 「生きる」と言う事は単純に考えると食べて、眠って、排泄することでしょう。が、現代人である私たちにとってそれには「コスト」が掛ります。当たり前の事ですが、眠る為の場所を確保して、食べる為に現金を調達しなければなりません。何もかもを己の手で生み出すことは不可能です。電気ガス水道のようなインフラを利用し、どこかで何かしらの食材を買っている。だから「お金」は必需品です。この「お金」をどこから、どのように調達するか。それぞれの人がそれぞれの方法で、それを行っている。私はこれまでキャリアコンサルタントとして、その「方法」と向き合ってきたと思います。

 キャリアは時に「山登り」に例えられ、「川下り」に例えられることがあります。が、私は「キャリア」の本来の意味「轍の跡」が最も適切な捉え方なのではないかと思います。「人」はその人生の10代後半から20代にかけて最初の職業的キャリアを始めることになります。日が経つごとに仕事内容に慣れ、工夫し効率よく同じ仕事をより短時間でこなせるようになっていきます。ある人はそこで、職位を積み。ある人は独立し、ある人は次の場所へ。

人生の中盤、おそらくは多くの「人」にとって己の人生で最も充実した時を送る頃。それとは知らず。何故ならその頃はあまりにも多忙で振り返る余裕すらないので、良い時代を味わうことは稀で自分でスルーする事になる可能性が高い。そうして現在の地点へ。

振り返るとまさしく「轍の跡」のように自分自身の歩みが刻まれています。問題は、この「現在」の地点をやがて退くことにあります。キャリアはその後、どうなるのでしょうか。職業的なキャリアはやがて終了するのでしょう。では、その先にあるものは何でしょうか。

長湯の最終日の前夜は窓を揺るがすほどの大雨でした。その音に閉じ込められた一室で長い間懸念にしていた「申し送り」を書きました。昨年初秋に救急車で緊急搬送された際(命に係わる重大な病でなかったことは幸いでした)、フトこのまま死んだら家族は銀行口座、保険、証券債券等ありとあらゆる事後処理に困るはず。ネット契約に関してはそのパスワードすら知らないだろうと後悔しました。遺言書までは大げさでも、申し送る重要事項くらいは残しておかなくては。

ようやく書くことができました。いたって事務的に(笑)

宿を出て昨夜の雨に洗われた新緑を車窓に、友達にお奨めされた高台のカフェへ。なのに、行けどもいけども濃い緑に覆われた山の中。やがて道は狭くなり、片側は断崖絶壁。超ピンチなのでした。心細いながらも7年越しの相棒(愛車を私はBobと呼んでいます)を信じてひたすら突き進むと、絵画の中に自分が取り込まれたかのような素晴らしい景色と美味しい珈琲がありました。

人生の最後にも、こんなご褒美が欲しい。

専務理事 由木 千尋

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