写真花嫁
2024.8.09
毎日暑い日が続いています。
酷暑の中でも、長女は幼稚園のお預かりで水遊びや工作を楽しんでいます。
最近は画用紙でお花やリボンを作ることに夢中で、毎回製作物のお土産をたっぷり持って帰ります。
次女はつたい歩きから一人で立てるようになり、ハイハイとのミックスで園内を探検しているそうです。
二人とも食事をしっかり摂り、よく眠り、何とか元気に過ごしています。
8月になると戦争と平和について考える機会が増えます。
先週末、NHKで20年以上フリーランスリサーチャーをされている中里雅子さんのお話を伺う機会を得ました。
中里さんはドキュメンタリー番組の制作に関わっておられ、資料の少なさからテーマとして取り上げられなかった「写真花嫁」について詳しく話されました。
写真花嫁とは日本からハワイやアメリカ本土に移住した日本人男性(日系一世)と写真や履歴書等を交換するだけで、実際に会うことなく、代理の結婚式と入籍でビザ発給を得て渡航した日本人女性を指します。1909年から1920年にかけて、約二万人の女性が海を渡ったそうです。
戦後テレビドラマのモチーフにもなった彼女達は見ず知らずの男性に嫁がされ、奴隷のように働かされる貧しい女性として描かれましたが、中里さんが取材された柳澤幾美先生によると、
・幼いころは恵まれていて、教育を受けていたものの、破産や親の他界で苦境に立たされた方が多い(日本国内では結婚の支度金が多く必要)
・アメリカへの憧れや興味が大いにある
・親戚や元のご近所、知り合いを介して嫁ぐ安心感があった
と、アメリカに渡ることになった要因を26名の写真花嫁達のオーラルヒストリーから読み解いておられます。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050565163333222144
結婚後、大規模農業に従事しながら、ワンオペで家事や育児に奮闘する彼女たち。太平洋戦争開戦直後、農地も財産も全て置いて、家族とともに強制的に日本人収容所へ収容されます。
全米10ヵ所、はじめは収容先が足りず、競馬場の馬小屋に収容された方々もおられたそうです。
劣悪な環境で苦難を極めたように思われますが、写真花嫁達はそこでアメリカに来て初めての自分の時間や賃金を得て、初めての英語を習い、趣味や娯楽の時間を持てたそうです。
そして、奉仕や慈善、社会活動にも参加していたとのこと。
これまで歪んだイメージで伝えられがちだった彼女達は歴史の1ページとして、ただ悲惨だった訳ではない。オーラルヒストリーを辿ると、野心を持ち、逆境に立ち向かうイキイキとした当時の女性達の息遣いが感じられ、勇気をもらいました。
彼女たちは日々多忙で資料があまり残っておらず、その上、柳澤幾美先生の論文を全てはまだ追えていませんが、日本国外で戦争をどう乗り越え、戦後どう生きたのか。お盆休みにじっくり向き合いたいと思います。
理事 吉次 恵美