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「わかる」ってどう言うこと?

2024.8.23

 ライオンズクエストの認定講師となって以来、ここ数年、夏は教育関係者へのワークショップやセミナーで忙しくさせてもらっています。この時期を除き、好きなペースで仕事に取り組んでいるので、一時期の忙しさを味わっていると言う感じです。

 教育関係者、主に学校の先生対象のワークショップやセミナーで最近、よく問うことがあります。それは「わかる」ってどう言う意味ですか?「理解する」ってどう言う意味ですか?という問いかけです。

 少しでも多くの子どもが「わかる」授業がしたい、それどころか一人も取り残さない「わかる」授業がしたいと言われる先生がいます。その思い自体は決して悪いものではなく、教育的にも価値があり、その先生にとってはモチベーションとなるのでとても良いことです。しかし、先ほどの問いかけをした時に、答えることができる先生に出会ったことがありません。目指すものが何かわからないのに、取り組みへの情熱だけがあると言うのは大きな問題ではないかと思います。

 実は、この「わかる」はどのような学習観(教育観)を持つかで、その答えが大きく異なります。これまでの教育の歴史には100年以上の心理学を中心とした「学習する」、つまり「わかる」とはどの様なことかを明らかにし、それを測定しようと言う試みがあります。

 学校の先生にお話しするのは、どの様な学習観に立って考えているかで「わかる」内容が変わり、そして、そこへどの様に迫るのかが変わります。まずは、よって立つ立場、基盤をしっかり確認することから始めないと、空回りばかりしますと言うアドバイスを送っています。

「わかる」ってどう言うこと?

 私は、ワークショップはもちろんですが、セミナーにおいても講演としてお願いされないケースを除いて、一方的にお話しするだけで終わることはありません。それはざっくり言えば、人の知の形成が他者とのやりとりを踏まえた上でその人の意味づけができることだという認識を持っているからです。状況的学習観や社会構成主義の影響ですね。したがって、「わかる」ということも「その人の文脈の中で意味づけできたこと」という認識を持っており、人が成長し、変化していくことを前提としています。

 これは、何も学校教育の世界にとどまる話ではありません。ビジネスでも社会でも、人の成長をどう捉えるのかを、どの様な学習観に基づいて考えるのかで大きく違います。最近、よく聞く様になった「心理的安全性」にも学習観は関係しています。

 なぜ、対話活動が必要なのか、雑談が必要なのか。それはただ参加・体験型でないと受講者の道ベーションが上がらないという意味にとどまるものではありません。その向こうに、もっと大きな大切な意味が存在します。その大きな意味を感じているか、認識しているかで、人材育成のアプローチが変わります。そう考えると、どの様な学習観を持つかが人材育成の大きな分かれ目であることは間違いありません。

 当法人の3人の理事に共通するものも「学習観に基づくキャリア開発・成長」を重視しているところです。その点に興味・関心がある方がおられましたら、ご連絡ください。

代表理事 横田 秀策

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