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こんな時だからこそ…

2021.8.10

こんな時だからこそ…

毎日、猛烈な暑さが続いています。

猛烈な暑さとともに、新型コロナウイルスの感染者がうなぎ登り。

一日の感染者数が、東京では5千人を超え(8/6現在)、全国でも1万5千人、福岡県でも700人を超え、一千人まであと一息というところまで来ました。

一方では、緊急事態宣言下の東京を中心に、東京オリンピックがさまざまな問題が起きながらも開催され、8日に幕を閉じました。大会期間中には「体操鉄棒、すごい!」「おー野球、金メダルだ」「女子バスケ、決勝進出!」とアスリートの活躍を喜ぶ気持ちもあり、心配していいんだか、喜んでいいんだか、どちらに心が振れても、もう一方から少し引き戻される感じがあり、何となく落ち着きません。先日、講座に参加してくれた大学生も「ようやく7月に入って授業がリアルで行われ、友だちと初めて会いました!」と新型コロナの影響によるオンライン授業から少し解放された気持ちを話してくれました。ただ、残念なことに、現在の感染拡大の状況から考えると、リアルな授業が今後もできるのか、それとも感染状況がもっと厳しくなり、オンライン授業のみになるのか、予想することも難しい感じがします。

新型コロナ感染症という人類史上初めて全世界的に直面したパンデミックを経験しているわけですが、先が見えないこのような時はついネガティブな感情が湧いてきて支配されてしまいがちです。ネガティブな感情それ自体は決して悪いことではありません。人類の歴史を振り返ってもネガティブな感情があるからこそ人類は生き残ることができました。しかし、ネガティブな感情が長く続きすぎると、どうしてもメンタルや身体に不調をきたすなど、望ましくない影響が出てきます。

このような時に参考になるのが、ビィクトール・E・フランクルの話です。フランクルは自分が第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に入れられた体験を『夜と霧』という作品に著しました。多くのユダヤ人が絶望の淵で亡くなっているのに、その悲惨の体験の中でも生き残った人たちがいたことを振り返って、刺激と反応の隙間にその違いがあることに気づきました。つまり捉え方に分岐点があると。そのためなのか、『夜と霧』の1962年英語版の題名は『Man’s Search For Meanings』、直訳すれば『生きる意味を探す』となっています。

そう考えると、いつ終わるとも知れないコロナ禍の中で、どのような世の中を目指していくのかはもちろんのこと、何を目指して生活していくのか、どこをイメージして働くのか、そして、良いことも悪いことも含めてコロナ禍がもたらした人類への教訓や財産は何なのかをしっかり噛み締めていくことが重要なのではないでしょうか。いろんな出来事が起こる我々の人生と、コロナ禍の人類は似ているかも知れません。将来のありたい姿、ありたい世の中をしっかり描くことがコロナ禍での過ごし方の鍵を握っているようか気がします。

代表理事 横田秀策

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