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旅とA先生の思い出

2022.6.10

 5月下旬、久しぶりに東京へ行きました。目的は研修の受講と、秋に予定しているリーダーシップ教育プログラムの合宿研修の施設見学です。旅のお供は「jintan84」という冊子です(写真参照)。

旅とA先生の思い出


 「jintan84」に掲載された作品の作者は、ちょうど一年前に亡くなられたA先生です。掲載された作品は、創作、エッセイから教育論、教育技術など多岐に渡り、70年近く前の作品から10年ほど前のものまであります。高校時代に書かれた創作は、まるで池波正太郎が書いたのかと思うほどの出来栄えであり、とても高校生が描いたものとは思えないほどのクオリティーです。人間味豊かなエッセー、教師としての眼力の鋭さなど、数えきれないぐらいのA先生の凄さ、素晴らしさが散りばめられていました。

 A先生との出会いは、20数年前、教育センターのグループ研修(社会科)に参加した時に、指導者になっていただいたことでした。小学校の先生と一緒に共同研究するのですが、中学校が一人だったこともあり、気を遣っていただき、「今度の休みにうちに来る。書いているものを見てあげるよ。」と優しく、声をかけていただいたので、厚かましくもご自宅にお邪魔し、指導していただきました。

 その時のことで忘れられないことが一つあります。ちょうどプロ野球の日本シリーズが行われており、イチローを擁するオリックスが、確かヤクルトと日本シリーズを戦っていました(そうすると1995年ですね)。A先生に指導を受けているところに、元気な奥様が「お父さん!イチローがホームラン打ったよ!」と笑顔で飛び込んでこられました。その奥様をA先生は微笑みながら受け止めておられました。その時の様子は今でも鮮明に記憶に残っています。

 その後、A先生に学習会を開いていただき、12年間ほどお世話になりました。その間、正月に、自ら下関の唐戸市場にフグを買いに行かれ、手料理を振舞ってもらうことが3〜4回はありました。そのような気さくで、懐が深い方でしたが、実は教育研究で大変有名な存在でした。学校のみならず社会人でも活用している形成的評価を梶田叡一先生とともに日本に入れられた方であり、教員出身でありながら福岡教育事務所長や県立図書館長などを務められた方です。また、退職後は、日本教育新聞の論説委員や古賀市教育長を務められました。

 そのように教育・教育行政の世界では素晴らしい業績を残された方であり、頭脳明晰なことはもちろんですが、お人柄は朗らかで、とても暖かい方でした。奥様も、冊子の中でA先生のことを「いつも穏やかな夜の海のように、静かに、深く、そして広く物事をとらえ、周囲がどんなにざわめこうとも、泰然自若のスタイルで、自分の考えを短く穏やかに語る、そんなタイプの人でした」と語られています。まさにその通りの方でした。

 私は、A先生に人間としてのあこがれのようなものを感じていました。能力は全く及びませんし、人間的なタイプも全く違うのですが、A先生の人としてのあり方には惹きつけられるところがありました。考えてみれば、自分が一緒に働いたことがある上司で素晴らしいなと思ったことがある方が数名おられますが、いずれも人間的な柔らかさや優しさを持ち、懐の深い方だったように思います。

 今回、旅のお供として「jintan84」を読んで、改めてA先生の素晴らしい才能に再び驚かされました。
そして、A先生の優しく微笑む顔と思い出が、久しぶりの東京を一層味わい深いものにしてくれました。


代表理事 横田 秀策

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