泣いて、笑って、ダーバーシティ
2022.2.10
昨年末から気になっていた映画がありました。「エール」というフランス映画で2014年のものです。主人公の高校生の女の子以外、父、母、弟は全て耳が聞こえない聾唖者で、主人公だけが健聴者という家族のお話です。
もともと映画鑑賞は好きだったのですが、コロナ感染症の影響で映画館へ行かなくなり、さらに、1時間もののドラマで良質なものがケーブルテレビやAmazonプライムで提供されているので、最近、自宅でも映画を見なくなりました。そのような中、先日、聞いていたFMラジオのパーソナリティの「エールという映画は素晴らしい、の一言だ」という話に後押しされ、ようやく自宅で鑑賞しました。
少々ネタバレになりますが、ストーリーは、主人公の家庭は農場を経営していて、主人公も聾唖者である家族とともに生活しており、いわば仲良し家族でした。高校でコーラス部に入部したことがきっかけで主人公は歌の才能に目覚め、パリの音楽学校受験を目指すというものです。主人公以外の家族が聾唖者であるために、家族と外の世界をつなぐコミュニケーションを主人公が背負っており、家族にとって主人公が家を出ることは突き放されたも同然のことになります。そこで、葛藤が起きるのですが、最後は家族に応援されて巣立っていきます。
「エール」はコメディ作品なのですが、実は鑑賞中、二度ほど涙しました。自宅で一人して映画鑑賞で涙を流すなど、クリント・イーストウッド監督作品の「インビクタス」を観た時以来です。主人公が夢を追いかけようとする姿と、家族の絆、その間で主人公や家族は揺れ動きます。そして、家族の応援を受けて巣立つ場面ではあったかい気持ちと涙に包まれました(お恥ずかしい)。
この作品の魅力の一つは、聾唖者の登場人物がとても個性的に素敵に描かれているところです。いずれの登場人物も個性的で人間っぽさ満載で、一人の人間として生き生きと描かれています。ここに障害とはいったいなんなのかという問いかけがありました。
また、映画を見ていくうちに、自然と自分の中でダーバーシティが深められていきました。父親が村長選挙に出ることになった時、主人公は障害者であるが故に困ることが起きると反対します。そこで、父親は「オバマも大統領になった」と言い返します。主人公が「それが、なんの関係があるの?」と尋ねると、父親は「彼も黒人だ」と答えます。鑑賞中には、この親子のギャップにクスリと笑って観ているだけでしたが、作品を観ていくうちに違う捉え方をするようになりました。あのシーンの父親の発言は父親がきっと聾唖の障害のことを社会モデルで捉えていたのだと。
従来は、一般的に障害を個人モデル(医学モデル)で捉えていました。個人モデル(医学モデル)とは、障害や、障害による不利益・困難を目が見えないなど個人の身体機能などに原因があるという考え方でした。それに対して、現在一般的になってきた社会モデルとは、障害や、障害による不利益・困難の原因は障害のない人を前提に作られた社会の作り方やシステムに原因があるとする考え方です。主人公の父親は社会モデルで自分の障害のことを捉えていたので、あの発言になったのだと観賞後に気が付きました。そう考えると、村長選挙に出たことも、映画の中での無鉄砲な発言もそうなのだと思えてきました。これは、映画鑑賞を通して、自分の中のダーバーシティが少し深められたのだと思います。
現在上映中の映画に「コーダ あいのうた」という映画があります。この作品は「エール」のハリウッド版リメイク作品で、大変高い評価を得ている映画です。ちなみに「コーダ」という言葉は「Child of Deaf Adults」(ろうあの親を持つこども)や、音楽用語としては楽曲や楽章の締めを表す=新しい章の始まりの意味もあるそうです。機会を捉えて、「コーダ あいのうた」も観に行こうと思います。
代表理事 横田 秀策