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戦争のその先へ

2022.8.25

 今年も夏が来て、77回目の終戦記念日を迎えました。

先月、所属しているJCDA(日本キャリア開発協会)九州・沖縄支部主催、平和祈念ワークショップのワールドカフェでテーブルホストを務める機会を得ました。ワークショップでは戦前戦後と沖縄で過ごされた方からお話を伺い、その内容を振り返りながら、対話を深めていきました。

話者の方は90歳近くのご高齢でありながら、終始パワフルにお話下さいました。過酷な状況下でも誰も憎まず、前を向いて自分のできることに懸命に力を注がれた姿勢に、その方が生きる上で大切にされてきた「心の命」をひしひしと感じました。

子どもたちが学校内で平和学習に向かう機会は作られていますが、大人になると自発的に動くことで様々な情報や想いに触れることができます。私たちは実際に戦争を経験された方の「語り」を繋ぐ世代として、しっかり受け止めて伝えていく。そして平和について押し付けではなく、一緒に考える機会を作っていきたい。そのために何ができるか?と考えた結果、もっと歴史について学び、関わる学生さんも取り組みやすいテーマとワークを作りたいとその日から動き始めました。

戦争のその先へ

沖縄戦については学生最後の卒業旅行で、担当教員や同級生たちと海軍壕やひめゆりの塔等、戦跡を回る旅でその悲惨さや残酷さに触れていましたが、その先については恥ずかしながら全く知識を持っていませんでした。話者の方は戦後、沖縄の外に出られないとわかってパニックになる若者たちの中で、この先生きていくために「今日から英語の勉強をして、基地の中で働こう!」と昼夜を問わず耳から英語を学ばれたそうです。「アメリカの犬!」と罵られながらも「私たちが頑張らないと沖縄は救えないんだ!」と勉強を重ねて、ついにはアメリカの官費でハワイへ留学し、学びを深めて定年まで沖縄のために尽力されたエピソードに非常に胸を打たれました。ワークショップ実施日の夜、この留学を経験した方たちはどのような葛藤や想いを抱きながら生きてこられたのか、もっと知りたいと文献を探していたところ、今春出たばかりの新書に出合うことができました。

山里絹子(2022)『「米留組」と沖縄』集英社新書です。

「米留組」という言葉は沖縄からアメリカにアメリカの官費で留学した方々を指し、1949年の開始以来、1970年まで1000名を超える沖縄の若者が大学で学ぶためにアメリカへ渡ったそうです。この留学は沖縄の復興のためだけではなく、冷戦下でアメリカによる第三世界への援助のモデルケースとして世界中への宣伝価値を持っていたこと。民主主義を広めるための役割を担うべく留学するため、学生運動への参加ができず、歯がゆい想いをした学生さんが多くおられたこと。実際に留学した結果、夢のような民主主義国家だと思っていたアメリカにも差別や貧困の問題が大きく横たわっていて、アイデンティティが揺らいだ方がいたこと。そもそも沖縄には戦前に大学がなく(琉球大学は1950年設立)、学びを深めたいために元の敵国がどうだと構っている場合ではなかった方もいたこと、そもそも沖縄は移民県で、外国で暮らす親戚が周りに多くいたために抵抗がない方も多かったことなど、たくさんの知らないこととともに、その時代を迷いながらもたくましく生きた方々のライフストーリーを必死に読み追うことができました。私がこの時代に生まれていたら、こんなに強く前へ進むことは果たしてできたのか?いや、難しかったはずと畏敬の念を抱きながら、今の自分にできることに注力して行動へ移したいと考え、他の文献もあたっています。少し先になると思いますが、法人の講座でお知らせできるように準備を進めます。

         理事 吉次 恵美

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